「江戸(えど)時代、港を管理(かんり)するお役所がたって いた場所」 鮫町生活舘の前に、「鮫御役所(御浦奉行所(おんうらぶぎょうしょ)跡」と かかれた立て札がたっています。これは、昭和63年3月に、八戸市教育委員会に よってたてられたものです。 「鮫御役所(御浦奉行所)」は、港に出入りする船や荷物、ハシケなどを管理( かんり)するお役人が、事務をとる役所です。立て札がたっている場所に近い南 西(なんせい)側にあったとされます。 さて、鮫(さめ)湊(みなと)は、今から300年以上前(1664年)に作られた貿易 港(ぼうえきこう)で、荷物を積んできた千石船(せんごくぶね)はかぶ島のかげに とまり、荷物はハシケとよばれる小さな舟で浜まで運ばれました。千石船の行き 来は、文政(1818)〜天保(1844)のころに、もっとも盛んだったようです。 この御役所の日記によると、鮫湊に運ばれてきたものとして、米、そうめん、 す、お茶、綿、塩、古手(古い着物)、杉かわ、むしろ、なわ、せともの、たば こ、くすりなどがあったそうです。 クイズ さて、この場所から、さめの港は見える でしょうか。 |