◆蛇口伴蔵(号山水)が下洗上水工事に着手したのは安政6年(1859)のことでした。 伴蔵の水利事業の計画は、八戸藩の総合開発ともいうべきものです。その水利事業計画は次の五つです。 @母袋子上水事業(新井田川を水源、板橋・類家の開発) A相内上水事業(馬淵川を水源、虎渡・剣吉の開発) B下洗上水事業(頃巻川を水源、大杉平・糠塚の開発) C蒼前平開発事業(寺下川・大渡川を水源) D小軽米上水事業(玉川を水源、小軽米の開発) この総合開発計画のうち、実際に工事にとりかかったのは下洗上水工事と蒼前平開発工事でした。 伴蔵は、三万両の資金を準備して工事にとりかかりましたが、この二つの事業で資金を使いはたし、事業の継続を断念しました。 しかし、伴蔵の事業にかける情熱と構想は、総合開発事業にとりかかるにあたって安政4年に寺下観音に奉納した願文によってうかがい知ることができます。 |
◆寺下観音 糠部三十三観音一番札所(階上町赤保内字寺下8)伴蔵の願文は観音堂に収められています。
◆交通 南部バス階上線、野沢下車25分 |
◆交通 南部バス市ノ沢線、泥障作下車10分、国道340号線の道路沿いに「蛇口山水発蒙」の碑があります。この碑は、万延元年(1860)下洗上水事業の完成を記念して建てられたものです。碑の上の山中を歩いていくと、水路跡や鴨平に穴堰(トンネル)跡があります。 |
◆伴蔵の開発構想を継いだ人々は多くいますが、現在の事業として「国営八戸平原地区総合農地開発事業」があります。この事業は、国の事業で八戸市・階上町・南郷村・岩手県軽米町にまたがる地域に、近代的農業経営と地域開発を含む北奥羽の総合的開発をめざすものです。
◆「私の五つの計画は、後の世誰かがやってくれるであろう。私の教訓を生かして欲しい」といって伴蔵はこの世を去りました。 伴蔵は大慈寺に眠っています。戒名「活山治水居士」 |