◇三本木原台地の開拓  新渡戸 伝◇

三本木原台地と稲生川用水路

三本木原台地


 ◆「……七戸辺に三本木台という野原あり。唯平々たる草原にて四方目にさはるものなし。……その間、人家なく、樹木も一本も見えず、実に無益の野原なり」(天明期 「東遊記」 橘南谿)とあるように、昔の三本木は三本の木しかないので「三本木」という地名になったといわれています。



稲生川第1トンネル水門


稲生川第1トンネル水門


稲生川第1トンネル出口


稲生川第1トンネル出口

◆安政2年(1855)新渡戸伝は、この三本木原開拓事業に着手しました。奥入瀬川上流法量取入口から天狗森山と鞍出山の二つの穴堰(長さ六千メ−トルのトンネル)を掘って、さらに用水堰を通すという難工事で、安政6年(1859)完成、奥入瀬川の水は躍るように三本木原の台地に流れました。この人口河川は、南部藩主利剛により「稲生川」と名付けられました。

◆交通 十和田観光電鉄十和田市駅バス焼山行、十和田湖町民体育館前下車15分。法量取入口と現在の稲生川第1トンネル水門が見えてきます。天狗森山に沿って歩いていくと第1トンネル出口も見えます。



現在の三本木原と新渡戸 伝の銅像

三本木原 吉田松陰
新渡戸伝の銅像


◆十和田市東三番町に、大きい鳥居のある大素塚(タイソヅカ)があり、境内には、三本木原台地の守護神「新渡戸伝の墓碑と銅像」と「新渡戸記念館」があります。記念館には、三本木原の開拓関係資料が展示され、たくさんの見学者が訪れています。

― 藤田又右衛門  新渡戸 伝   蛇口 伴蔵 ―