歴史概要


 下長地域が歴史の表舞台に登場するようになるのは、甲斐の国出身の南部師行(もろゆき)が、八戸発祥の地「根城(ねじょう)」に城を築いた時からである。南北朝時代の建武元年(1334年)であった。
 この時代から、馬淵川(まべちがわ)のほとり「内舟渡(ないみなと)」は、城への物資運搬の基地、さらに平坦な地域である長苗代(ながなわしろ)地域は、食料の拠点地として、寛永4年(1627年)に根城南部氏が岩手県遠野に移封(領地を命令により移すこと)されるまでは根城南部氏の支配下に、その後は寛文4年(1665年)八戸藩誕生により、八戸藩の支配下に置かれた。
 八戸藩は、廃藩置県により、明治元年(1868年)に八戸県となる。明治6年(1874年)に八戸県が廃止され青森県大小区制に伴い、八戸は「第九大区」となり、長苗代村は「第九大区第一小区」となる。明治11年(1879年)、郡区町村制度が施行され「下長苗代村」が誕生した。明治22年(1890年)、市制及び町村制度が施行され、新たに長苗代村、石堂村、河原木村の3カ村は「下長苗代村」となる。
 昭和17年4月1日、八戸市へ編入(合併)され現在に至っているが、昭和49年の下長地区石堂土地区画整理事業が始まるまでは農業中心の地域であった。

【下長地区連合町内会作成「下長地域歴史ガイドブック−1」より】