世増(よまさり)ダム
平成16年、八戸市世増地区に世増ダムが完成しました。

■世増ダムの役目
1.農業用水の供給
  八戸市、階上町、軽米町の畑に必要な水を安定して供給します。
2.治 水
  台風や大雨で川の水が急に増えて洪水を起こさないようにダムに貯めて調節します。また、川の水が少ない時は、貯めた水を流して水の確保をします。
3.水道用水の安定した供給
  八戸市の他、周辺の町村と岩手県洋野町へ飲み水を送ります。

■世増ダム建設の経緯
昭和30年代後半に、ダム建設が計画されました。
ダム建設のために、世増、畑内(はたない)、軽米町水吉(みずよし)地区の合わせて71軒が水没の対象となりました。
昭和51年から調査が始まり、昭和63年に国と住民側が水没移転協定を締結し、平成2年までにすべての住民の移転が終了しました。
ダムの本体の工事が始まったのは平成10年からで、平成12年から約2年間で高さ52mまでコンクリートを打ちました。
そして、平成16年3月、構想から約40年、工事着手から7年、総事業費613億円で世増ダムが完成しました。
貯水量3,650万㎥(市役所の高い方の建物約900杯分)で、治水や農業用水、飲料水の安定供給に役立っています。

■世増地区の様子
世増地区は、島守盆地の南端から新田川沿いに2km程山間部に入った所に位置し、さらに2km程南下した所に畑内地区がありました。家は合わせて50軒ぐらいで、約200名の人びとが生活していました。
稲作や畑での葉タバコの栽培などの農業、川でウグイやコイなどをとる川漁が盛んでした。また、イタヤカエデの木で、籠(かご)や箕(み:ごみを除く農具)を製作する地区として有名でした。
子どもたちの通う増田小中学校は山の高い所(現「山の楽校」)にあり、毎日山道を往復していました。
また、源平合戦で敗れた平家が逃れてきた地という伝説がある地区です。



南郷区の消防組織
旧南郷村の消防組織は、明治43年に中沢村消防組と島守村消防組の発足に始まりました。
昭和46年に南郷村消防団としてひとつに統合され、同年八戸消防団南郷分遣所が設置されました。
昭和64年には、中沢分団(1~10部)・島守分団(1~10部)が、南郷村消防団1分団~6分団に編制替えされました。

■各分団の区域
     第1分団  市野沢・田ノ沢・馬場頭・泥障作
     第2分団  砂篭・十文字・沢代
     第3分団  中野・下家前・下洗・大平・半堂
     第4分団  江花沢・門前・荒谷・頃巻沢
     第5分団  鳩田・大森・泉清水
     第6分団  番屋、古里、不習、相畑、七枚田




南郷区の学校の変遷
明治時代から始まった学校の歩んできた歴史です。