施設案内
館内図
常設展示
史跡 根城の広場
催事
 
学習コーナー
考古
歴史
民俗
刊行物
利用案内
交通アクセス
  学校の先生方へ
 
  博物館実習
 
八戸市庁トップへ
学習コーナー【考古】
 
鎌倉・室町・安土桃山時代(12世紀から15世紀)
 源頼朝が鎌倉幕府を開いてからは、武士が世の中を支配するようになりました。

 甲斐国(現・山梨県等)の武将・南部光行(なんぶみつゆき)は、奥州平泉の藤原氏を破った手柄により、頼朝から北東北一帯を賜ったと伝えられています。 
 元弘3年(1333)、北畠顕家(きたばたけあきいえ)は、後醍醐天皇(ごだいごてんのう)より陸奥守に任じられ、義則親王(よしのりしんのう 後の後村上天皇)を奉じて陸奥国府に赴任しました。
 このとき、光行の子孫・南部師行(なんぶもろゆき)もこれに従い奥州の地へ入りました。
 師行は顕家より国司の代官(糠部奉行 ぬかのぶぶぎょう)に任じられ、建武元年(1334)、南朝方の拠点の一つとして根城を築いたといわれています。
イメージ 根城の本丸
根城は、南北朝時代から江戸時代初頭までの約300年間、八戸の中心でした。 
根城の本丸は、発掘調査をもとに復原されています。
 以来、この根城を本拠とした南部氏の系統は、「根城南部氏」(または八戸氏)と呼ばれるようになりました。
 根城は、根城南部氏とともに南北朝の戦乱を耐え抜き、室町、戦国、安土・桃山時代と長きに渡り、北奥羽の地に存在し続けました。
 天正18年(1590)、三戸南部氏の南部信直(のぶなお)は、天下統一を成した豊臣秀吉から、南部氏領全体の所領安堵の朱印状を得ました。これにより信直は領内全体の支配を認められ、根城南部氏はその配下の立場となりました。
 また秀吉は全国の大名に向けて、各領内の諸城を破却する命令を下しました。南部氏はこれに従って、三戸城を除く領内の城の大半を破却し、根城もまた城としての機能を失いました。 
 江戸時代に入ると、寛永4年(1627)、南部利直(としなお)の命により、根城南部氏は遠野(現・岩手県遠野市)へ領地替えとなり、根城は歴史的役割を終えました。
 根城からは、発掘調査によって、よろいや刀などの武器・武具の部品や、陶磁器などの生活用具が発見されています。
 
◆ 南部氏の流れ
南部光行(なんぶみつゆき)
 
矢印
矢印




建武元年(1334)南部師行(なんぶもろゆき)は、南朝方の拠点の一つとして根城を築いたといわれています。
師行は南朝方に組し、北畠顕家(きたばたけあきいえ)等とともに上方まで攻め上り、北朝方を京から追い出すなど目覚ましい活躍をしますが、延元3年(1338)北朝方の足利軍に破れ、泉州境浦(現・大阪府堺市)で顕家と共に討ち死にしました。
師行の死後も後継者は南朝方として働き、支配領域を増やしていきました。
明徳3年(1392)の南北朝合一後は北朝方となりましたが、蠣崎氏(後の松前氏)や安東氏を駆逐して仙北郡や下北半島などにまで所領を拡大させました。
永禄年間(1532〜69)、三戸南部氏と共に勢力拡大に奔走し、北上川から下北半島に至る広大な領地を獲得しました。
三戸南部家の相続をめぐり、晴政の養子・南部信直(なんぶのぶなお)を支持しました。
天正18年(1590)、信直が所領安堵の朱印を得たことにより、その配下の立場となりました。
天正19年(1591)、九戸政実(くのへまさざね)の挙兵に対し、信直と秀吉軍による政実討伐に加わり、政実方を討ち滅ぼす。




応永18年(1411)、南部守行(なんぶもりゆき)が陸奥国司職に補任されました。
天文8年(1539)南部晴政(なんぶはるまさ)が将軍足利義晴(あしかがよしはる)より名前の一文字を拝領(諱拝領 いみなはいりょう)しました。
永禄年間(1532〜69)、晴政は南部氏の勢力拡大に奔走し、北上川から下北半島に至る広大な領地を獲得しました。また、居城を三戸城に移しました。
相続をめぐり、晴政は養子の南部信直(なんぶのぶなお)との対立が大きくなり、南部氏全体を巻き込む抗争となりましたが、晴政の死後、信直が相続しました。
また、抗争の間隙を突いて、大浦為信(おおうらためのぶ 後の津軽氏の祖)が津軽一帯などを奪取し、後に秀吉から本領安堵を得たことで、大名として独立を果たしました。
天正18年(1590)、南部信直(のぶなお)は、豊臣秀吉から所領安堵の朱印状を得ました。
天正19年(1591)、信直の南部家相続に強い不満を抱いていた九戸政実(くのへまさざね)が挙兵。信直は秀吉に政実討伐を要請し、秀次、蒲生、浅野、石田ら討伐軍とともに政実方を討ち滅ぼす。
遠野


寛永4年(1627)遠野へ領地替えとなり、横田城に移りました。
盛岡


寛永10年(1633)盛岡城に移りました。
寛文4年(1664)、南部重直(しげなお)が跡継ぎを決めないまま死んだことから、幕府によって領地は一旦に没収され、その後、盛岡藩と八戸藩の二つに分けられました。
矢印 矢印
八戸南部氏
盛岡南部家
縄文時代 / 弥生時代 / 古墳時代 / 奈良・平安時代 / 鎌倉・室町・安土桃山時代